魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A'sにおける個人的論考 〜 これが今の僕にできる、全力全開のなのは論! 〜  by パン友

さてさて、改めましてなのはの感想と個人的見解なんぞを、と・・・。

当初はその日の内に上げる予定でしたが、色々あって今頃の更新となります。。(まぁ相方も今日観たとか言っているし、ある意味丁度いいタイミングかなぁ、とか言い訳してみたり。。(駄…
なおわかりづらくなるのを避けるため、舞台挨拶の件のみをまとめた14日の記事とは分け、こちらでは映画の内容についてのみ考察していてればと思っています。
本当に文章だけの地味な記事にはなっておりますが、私なりに気持は込めてみたつもりなので是非最後まで読んでいただければ幸いです。

また合わせてA’sまでの展開に関する詳しい説明なんぞは省きますが、一応Wikiの概説(←リンク有)だけは載せておきます。
もしアニメ版を視聴済みでない方で、(映画版から観ようか迷ってるんだけど…)という方がいればご参考までに。

(概要)
テレビアニメ版第1期『魔法少女リリカルなのは』の続編。なお、作品内の時間は前作の約半年後となっている。

前作では主人公・高町なのはのライバルでもあったフェイト・テスタロッサが、本作ではなのはの親友として登場する。また、八神はやてとそのはやてに従う守護騎士達・敵か味方かも不明な第3勢力など、新たな主要登場キャラクターが登場する。

前作から一転してスピンオフ元である『とらいあんぐるハート3』に由来する設定の影は次第に薄れ、本作から本格的にアニメ独自の方向へと向かっている。


 〜中略〜


(ストーリー)
次元世界を揺るがした「PT事件(プレシア・テスタロッサ事件)」からおよそ半年後の12月。高町なのはは戦いを通じて得た絆を胸に魔法の訓練を続けていた。

ある夜、そんな彼女の下に「所属不明の魔導師が急速接近中」との警告が響く。不穏なものを感じながらも、それを迎えるべく家を出るなのは。それが、後に「闇の書事件」と呼ばれるある冬の悲しくも優しい出来事の幕開けだった。


というわけで。
※例のごとくこっから↓ネタバレなど含むことになりますので、まだ観てない方は注意していただきたく思います。
ではでは・・・。


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・なのはA'sへの個人的認識の変遷


正直私としては、前作の無印がマジモンの親子愛を描いた作品ということもあり、アニメ放映時から個人的な嗜好も相成って、A’sの方は少しパワーダウンしたイメージがこれまではあった。
…ほら、映画とかでも時々言われることではあるが、“シリーズものはなんだかんだ言ってパート1が一番面白い”って人が多かったりするし。
ターミネーターとかバック・トゥ・ザ・フューチャーとか、スパイダーマン、ロッキーとか、他にも色々。…まぁ人それぞれだとも思うが。
少なくとも私もそういった例にもれず、“なんだかんだ一作目至上主義”固定観念から抜けきれない自分がいたのだ。


また個人的に、1stのように親子をテーマに泣きモノ書くのは、ある種の反則技だと思っている。
アニメに限らず、私もこれまで様々な媒体を通して涙を枯らしてきた。


それに加え1stの出来が総合的にあまりにも良かったこともあり、はっきり言ってA’sの方は(そこまではいかんだろ〜!)ってな具合に舐めていたのが正直なところだった。


…だが本作を観たことにより、その認識は間違いであったと認めざるを得ない。

いざストーリーが進むにつれ、なのはがはやてやヴィータ達との対話を果敢に臨まんとする切実な姿にまずヤられ、次いで未だ過去に踏ん切りの付いていなかったフェイトが、再度前を向いていこうと奮起するシーンを経る中、はやてが疑似家族に望んでいたことなんかが忠実に描かれていくのを観て、その考えこそが甘かったことに気づかされた。


(やべぇww良い歳したおっさんが幼女アニメ観て泣いてるとかwwwうはwwマジ洒落にならねぇしwwwwww)とか思わなくもないが、いやぁあれは無理だった…。
気づいたら何度も決壊する羽目になろうとは・・・。


でも少し言い訳をさせてもらえば、(少なくとも俺はコレ観て涙流しちゃうような純情な人が好きだし、変にリア充ぶって、アニメ自体をdisっちゃうような連中になるよか全然ましかなー)とか思えるようになっただけでも、我ながら成長したのかなぁ、とか感じてしまっていたりする。



「「良いじゃん。幼女アニメ観ておっさんが泣いてたってさ!
つーか、おっさんみんな集まってハナズビスビ言わしたればえーやん!!」」
と、そんな風に割り切れるようになったのだ。


…とまぁ、個人的な感情論はこの辺にして。
実際私の周りでも鼻を啜る音があちこちから聴こえてきていたし、この映画の破壊力の強さは錚々たるものであったと、今になって改めて振り返る。


さて、肝心の内容であるが、一つ一つ細かいとこまでは流石に取り上げられないため、今回はなのは、フェイト、はやての目線からストーリーをなぞっていくことにする。


・なのはの場合


本作におけるなのはは、3人の中でも一番芯が通っており、最後まで感情的にブレることは少なかった。
フェイトとの再会後、ヴィータとのファーストコンタクトを経て傷つき、またそれを乗り越えた際も、一貫して強いままの彼女で押し通していた。

ただそれが彼女の魅力であるとわかっていながらも、流石に中盤くらいになっても仲良くなりたい相手に平気でバスターを撃ったりしている姿を観る内、そのあまりの猪突猛進気味な姿勢に、(この子いくらなんでも、我が強すぎやしないか…)とか思ってしまった。


その辺は中の方である、田村ゆかりさんがパンフのインタビューに書かれていた記事も参照されたし。↓

―友達にはなれないと思いますが、クラスにはまとめる係として少し離れた所にはいて欲しいです(笑)。
彼女は何か特別なことをしているつもりはないでしょうし、性格の合う人達と一緒に仲良くして頂ければと(笑)。


前回の1st公開時にも似たようなことを書いたが(リンク←今読み返してみたらかなり拙い内容で唖然…)、正直かなり重いキャラだったりするなのはさん


設定年齢とビジュアル的な幼さからも、アニメを見始めたときはかなり違和感を感じていた。(こんな9歳児いるかな〜)と。
一応教育業界に身を置いている立場から言わせてもらっても、中々非現実的に感じてしまう。
年齢に対して倫理観が確立しすぎているのだ。
だが、この2ndを観たことで、実はそれこそがミソであるような気もしてきた。


より教育的な話をさせて貰えば、この小学校中学年という時期は、発達段階を考慮した上で具体的操作期という期間に含有され、一般的にそれまでの“誰とでもみんな仲良く”という感覚から、“気の合う仲間たちを選んで”つるむようになり、閉鎖性が広がり始める頃であるとされている。(※ギャングエイジとか、そういうのもこの時期。
また同時に、社会性も大きく成長する時期であり、それに伴って正義感が発達しやすい、非常に重要な時期でもあったりする。
そのため特に正義感の強い子は、不正に対する嫌悪の感情も著しく、対立しやすい面もあり、おまけに感情的にナイーブだったりもして、親御さんも頭を悩ませることが多くなるときなのだ。
心の成長と感情の制御が追い付かず、ちょっとした刺激でも涙が出たり、他者へ激昂したりなど、…まぁ難しいお年頃というやつである。


ここで色々教育概論みたいな話をだしたのも、この劇場版を観た上で、(ある意味なのはって、この時期の子どもの心理面を良く表したキャラだよなー)、とか今になって思えるようになってきたからである。

言っていることが一々正しく、またかなり超絶的な(空想的な?)能力を持っている点に関して言えば“やはりアニメだから…”、っていうのに落ち着いてしまうわけだが、それでも“そんなの絶対間違ってる!もっとちゃんと話さなきゃわからないよ!”な、なのはさんは、ある意味では年相応な子どもらしい、真っ直ぐな心理描写を描けているように思えてきたのだ。(なんというか、大人社会で生きている我々にも不正への嫌悪感なんてのは当然あるはあるのだが、どうしても全てを具体化せず(できず)に押しとどめてしまったりする。まぁ良くないのだが、変に賢くなって逃げも処世術の一つなのだとか思ってしまったりとか・・・


加えてこのなのはという作品を、所謂セカイ系作品(※“私たちがやらなきゃ世界が崩壊する!”みたいな作品の総称)の一つとして考えたとき、9歳児の溢れんばかりの感情表出を、そのまま世界規模まで広げて描いた、云わば子ども心を失いかけた寂しい大人のための、ワンダーランド的内容であるとも言える気がしてくる。
そりゃあ私のような大人が夢中にならないわけがないのである。
(ただ製作者側の思惑にまんまと乗せられているようで、なんだか色々負けたような気になって悔しく感じたりもするわけだが・・・(苦笑)。まぁ、今更って感じだけど。


しかし、なのはという少女はゆかりんも言っている通り、“いてほしいけど、近すぎるとちょっと眩しすぎて、ぶっちゃけ重い…”という感覚は、私も未だ同感だったりする
それこそ、「俺もなのはと友達になりたいんだ!」とか、「なのはは俺の嫁〜!」とかネット上では色々みんな言っていたりするが、近くにこんな子いたら、色々大変だと思うわけで・・・
よっぽど自分に自信あるならいいが。。
(…とかそんなこと考えてしまう私は、やはり夢がないってことなのだろうか・・・。


同時にそのへんをキチンと自己分析した上で演じているゆかりんは、本当にプロ意識の高い役者さんだな、と感じる。(一見するとキャラへの同化ができきれておらず、その突き放したような物言いに冷たく感じる方もいるかもしれないが、それはこの場合違うと思う。キャラクターへの愛情とは別に、“なのはとは違うわたし(ゆかりん)ならどう演じるか”ということに真正面から向き合った、声優としてのプライドがそこにはあると感じる。


…まぁ要するに、なのはという存在はそれくらい眩しくて、手に入れたいとかそういう次元で語るのすら、個人的には憚れるキャラクターなのである。


劇中フェイト他友達を信じる想いの強さだけで解決していくシナリオに(終盤、リーンフォースとの一騎打ちのシーンなど)、(正直ベタだなー)とか感じながらも、やはり感動してしまうのは、私自身がなのはの持つ力を羨望しているからなのかもしれない
猜疑心など一切なく、人を信じられる9歳児に憧れ、恋焦がれてしまうのも、(自分が肩書きだけのつまらない大人になってしまった証なんかなぁ…)とか思うと、少し泣けてくる夜なのだ。


いやはや、なのは△っすわ、本当に・・・


さて、なのはについてはこのくらいにしておき、早速次。



・フェイトの場合


結果的に、この子の場面で一番泣かされることになった


前作で母親(創造主)であるプレシアから辛辣な言葉を受けるとともに、死に別れてしまったフェイト。
その後なのはとの心のつながりにより、一度失いかけた自我を取り戻し、再開を誓う。
…とここまでが1stまでの話。


前作が辛い現実からの脱却と解放であるとすれば、それを継いだ本作では“その過去と再度向かい合い、乗り越えていく物語”であったと言えるだろう。


冒頭、なのはとの再会に喜んでいたのも束の間、新たなる火種に巻き込まれ、当然のようにそこに突っ込んでいくなのはを追っていき、そこで彼女は遠い遠い夢を見るのだ。


闇の書に吸収され、幻想世界の中で優しい母と姉達に出逢い、ここにずっと住むか、それともなのはの待つ現実に還るのか、選択に迫られる中で、彼女の出した結論とは―。


…うん、完全にやられてしまった


人物的に見ると、なのはが他者との対話により人間関係を広めていこうとする外交的な子どもなのに対し、フェイトはどちらかと言えば内向的で、少なくとも劇中大剣を振り回す戦闘シーンからは想像もできない程に内面では葛藤しており、子どもらしい弱さも持っていて、私的には共感しやすいキャラクターであったとも言える。


そういった点からも、この子が成長していく過程を観て、己の弱さを自覚している大人は励まされることが多かったのではないだろうか。
人間の本来持つ自信のなさや悲しみの記憶というものを持ちながら、なのは達仲間とともに精一杯立ち向かっていく姿に、涙せずにはいられなかった。


これまでずっとフェイト自身が望んでいた“夢の世界”から抜け出し、なのは達と共に歩んでいく決断をするシーンでは、水樹奈々さんの好演も相成って、私のカタルシスはここで頂点に達することになる。


強さと弱さを併せ持つ、優しい女の子。
それがあのなのはが出会った当初から見抜いていただろう、フェイトの本質ではないだろうか。


…さ、一気に次でラスト。
我らが参謀、あの方で締めることとする。


・はやての場合


本作は彼女の物語であるといっても過言ではない。
ヴォルケンチームの親玉にして、Strikersでは最強の魔力権限を持つ彼女ではあるが、A’sでは身体の不自由な、いたいけな少女として登場する。
そしてそんな彼女がまず望んだものが、偽りの家族そのものであった。


疑似家族。
これをテーマにした作品は数多に渡るが、オタク産業に照らして挙げればエロゲ―の『家族計画』なんかがわかりやすいか。
“本当の家族じゃないけど、それ以上のナニカを見つける物語”というのは、どうしても展開が重くなりがちで、またリアリティを欠きやすく、ファンタジー色ばかりが目立ちやすくなるという、非常に難しい面も併せ持った、もろ刃の剣でもあると考える。


実際このはやての設定に関しても、個人的に(やはり設定に無理があるよなぁ…)と思うことが多く、アニメ放映時もそこが気になってあまり入りこめなかった経緯があったりする。



両親をなくした未成年の児童が一人暮らし?

障害のリハビリで通院する際、付き添いにどこの誰かもわからない、親戚でもない人間を充てたりするものだろうか?

そもそも主従関係の元に契約したとはいえ、元々これまで血に濡れた闘いに身を投じてきたヴォルケンメンバーと普通の女の子が、そう簡単に信頼関係を築けるものなのか?


…なんというか、そんな物語の本線とは外れた大人の事情みたいなんに変に引っかかってしまい、中々入りこむことができずにいたのだ。
(まぁアニメはアニメなんだから、そんな気にせんでも…)ってことで腑に落ちたのは、アニメ版を2回程見直したときだった。
…自分でもまぁ、(厄介な見方しているなぁ…)と今になって思わなくもないが、その辺最初から無視して観られるほどには、私も現実を捨て切れていないのだと知り、少しほっとしたりもするのだ。(果たしてどっちが幸せなのかは知らないけれど・・・。


ともあれその辺も含め、劇場版では割かし達観して観ることができたため、最後のリーンフォースとの別れでもしっかり号泣していたことなどを振り返るに、(我ながら逞しいなぁ…)、とは思わなくもない(苦笑)。


次に、その疑似的な繋がりの詳しい中身を見ていこう。
豪傑なシグナム、凶暴だが幼さの残るヴィータ、母性に富み、優しくも厳格なシャマル、忠実なペット?にして癒しキャラwのザフィーラ。
そしてそんな彼らの中核にして、根源でもある闇の書。

かなりバラバラなようでいてその結託は強く、彼らの思いの繋がりの深さ故に、皆がはやてへの愛情を感じるようになった経緯は、この映画を観てようやくはっきりと理解できたように感じる。
特にヴィータは前述している他のヴォルケンリッター面々より幼く、その感受性もまだまだ成長段階にある点を踏まえても、はやてだけでなく、彼女もまた一緒に成長していけたのだと考えると、感慨深いものがある。


さて、視点を再びはやて個人に移し、ストーリーを追っていくことにする。
はやては当初自身の身体のことにさほど興味がなく、生に対する執着があまり感じられない希薄な存在として描かれていた。


しかし、騎士達との生活やリーンフォースとの対話を通し、自らを見据え、強く“生きたい”と願うようになる
彼らと一緒に、平穏な未来に向かって。


しかし、物語のクライマックスにて、闇の書を切り離してもリーン自らが害悪になるという結論に達したことで、再び葛藤することになるのだが・・・。


ここがこの映画最大の肝にして、一番の泣かせ所だと言えるだろう。

別れのシーンは号泣必死。
ハンカチは意味ない可能性があるのでご用心。
ただただ零れていく涙そのままに、全力で入りこめれば吉。


…言えることはそれくらいしか思いつかない。


エピローグでは、はやてはフェイトらの支えを元に再び立ち上がろうとするのだが、その彼女自身の強さと友人、騎士達の優しさに、追い打ちをかけられるように涙腺を刺激されることになった。


私自身、((もう・・・もう無理。。枯れ、、枯れ果ててしま(ry ))という感じであった。


あとは是非劇場にて各人が確かめられたし。
シナリオについて私としてはもう何も語ることはない・・・。


はやては黒い翼を持つが、それは彼女自身が身に落とし込んだ穢れを一生忘れないようにするための証なのだろう
消えない悲しみ。
でもだからこそ、彼女はそれで飛ぶことができるのだ。

痛みや消せない過去も、いずれは強さに変えられる。
そんな熱いメッセージを、私はこのはやてというキャラクターを通し、やっと学べた気がする。



・総論


以上、3人の人物考察を元に、自分勝手にこの作品を振り返ってみた。

またシナリオ以外の点についても簡単に感想をまとめておく。


まず作画は押し並べて高レベルにして、キャラの細かい表情であったり、戦闘シーンの迫力などどれをとっても大満足だった。
個人的には、闇の書の顕現化された姿は、かの邪神クトゥルフを彷彿とさせ、観ていておぞましくも非常に興味深かった。
元々宇宙規模での話として広がっていく点からも、コズミック・ホラーとしての体系を崩しておらず、クトゥルフ好きには堪らない設定であると言えるのではないか。(アルハザートという固有名詞だったりとか、あと闇の書がヴォルケン、引いては主であるはやての旧支配者的意味合いを持っていた点などを鑑みても。


キャストは私が心から愛してやまない田村ゆかりさんへの思いが強すぎて、客観的に語れる自信がないため割愛。
…だが敢えて一つだけ語らせてもらえば、闇の書/リーンフォース役の小林沙苗さんの演技には本当に堪らないほど惚れこんでしまった。
主・はやてへの懺悔と、別れを告げるあの場面は、この方でなければ描ききれなかっただろう。

また音楽に関しても、やはり水樹奈々田村ゆかり両者の楽曲なくては語れない。
曲入りのタイミングなども含め、演出にマッチしており全てが良かった。



以上。
総合的に見ても、この映画は文句なしの傑作であると評する以外にない。


なのはは、確かに所詮一アニメ作品に過ぎない。
しかし、現実をそれとなく生きてしまっている我々大人にとある問題提起を投げかけることで、“生きる本当の意味”を示唆してくれる、非常に社会性に富んだヒューマンドラマだと結論付ける。


長々とここまで書いてきた割には、正直全然語りきれた気がしないのだが、強いメッセージ性を持ち、心に優しさで満たしてくれた本作が、私は大好きだ、とただそれだけが伝われば本望である。


自信を持ってこの作品をお勧めするとして、筆を置くことにする。


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…………。
はいは〜い、というわけで、私なりのなのは2nd論をグダグダ垂れ流してまいりました。
なんだか良くワケのわからんままに2時間ほどで書き上げたのですが、改めて読み直してみると、論点が途中でズレまくってたり、結局何が言いたいのかボヤけてしまっていたりなど、あまり良い文章ではないかもしれません。。
書いた私が言うのもナンですが、(コレ全部読む人って、身内とか以外で果たしているのだろうか…)、などと考えてしまうあたり、(それ載せるってどーよww)って気もしますが、せっかく眠気に耐えながら書いたのだし、勿体無いのでやはり載せることにしました(ぇ…

また私自身この文章を書いている時点で、まだ一回しか鑑賞していないのですが、もう既に特典など目当てに何回も観ておられる方も多いことでしょう。
そういった“兵”な皆さまには読み込みが甘いと感じられるかもしれませんが、何卒一ファン風情が書いた文章であります故、手加減頂ければと思います。。



((…ま、もう書いちまったもんはしゃーねーや!
シラフじゃないから恥ずかしくないもんっ!!))

ってことで許してちょんまげ☆(ぇ
っつーこって・・・←


…あー、あとなのははまた近い内に観ることになると思うので、気持ちに変化が生じた場合などは、またここで加筆修正を行うことがあるかもしれないです。

※2013.1.22追記

この作品のBD,DVDが3月に発売されることが決定しました!

今更新しく感想を書き足すのもあれですが、兎に角この機会に是非!
それとリリパⅤの開催も決定ということで、今後も展開に目が離せませんよ〜☆


またなのは以外にも近々ではポケモンにおおかみこども、あと苦役列車あたりは観る予定なので、もし面白かったら感想上げたいと思います。
よろしければそちらも是非是非〜!


それでは、本当に長々とありがとうございました。